スティーブ・シルバーマン『自閉症の世界』の翻訳について
スティーブ・シルバーマン『自閉症の世界』(正高信男・入口真夕子訳 講談社ブルーバックス)が刊行されました。この本の原書"NeuroTribes"は、欧米では数々の賞を受賞した話題作なのですが、翻訳は全訳ではありません。これは訳者あとがきにも書いてあるとおりです。
カット部分が最も大きいのは序章で、おそらく1/10くらいに縮められています。内容も大きく変わっているため、章題も変わっています。訳書では「自閉症は増えているか」ですが、原書では"Beyond the Geek Syndrome"、「ギーク症候群を超えて」というタイトルで、シリコンバレーの話や、著者が本書を書くに至ったきっかけなどが書かれています(Perl開発者であるラリー・ウォールの話もカットされた部分に出てくるんですが、エピグラムはそのままなので意味がわからなくなってます)。
巻末の謝辞や参考文献一覧も割愛されてます。謝辞はともかく(とはいえ、この謝辞も、男性の著者が「夫」に感謝を捧げていて、著者もまたマイノリティであることがわかる部分なのですが)、参考文献がなくなったのは学術書という本書の性質上、たいへん残念です。おそらく新書版一冊に収めるために縮めざるをえなかったという版元の事情もよくわかるのですが、話題作だけに全訳してほしかったのが正直なところです。
カット自体は出版社の都合としてやむをえないとしましょう。でも、どうにも見過ごせないのが、原文と訳書とで意味が変わっていることです。読んでいてどうも意味がとれないところやおかしなところが多いので、kindleで原書も購入して確認しながら読んでみたら、これがあるわあるわ。
たとえば、訳書の12ページにはこんな箇所があります。
カリフォルニア州モラガにある自閉症の子どもたちのための高校である、オリオン・アカデミーの校長のキャサリン・スチュワートは、アスペルガー症候群をエンジニアの障害とさえ呼んでいた。「エンジニアなんて多かれ少なかれみんな自閉症的だと思うよ」。
これだと、誰でも当然最後の言葉はキャサリン・スチュワートのものだと思いますよね。でもそれにしては、男言葉で訳されているのに違和感があります。しかし、原文はこうです(私も決して英語に自信があるわけじゃないんですが、恥ずかしながら試訳をつけておきます)。
Kathryn Stewart, director of the Orion Academy, a high school for autistic kids in Moraga, California, said that she called Asperger's syndrome "the engineers' disorder." In popular novel Microserfs, Douglas Coupland quipped, "I think all tech people are slightly autistic."
(試訳 カリフォルニア州モラガにある自閉症児のための高校オリオン・アカデミーの校長キャサリン・スチュワートは、アスペルガー症候群を「エンジニア病」と呼んでいた。人気小説『マイクロサーフ』で、ダグラス・クープランドは皮肉っている。「技術者はみんなちょっとばかり自閉的なんだと思うよ」)
カットしたときに文をひとつ飛ばしたのしょう。ダグラス・クープランドが消失してしまっています。
続いて第3章97ページ。
オタクぶりと、さらに故意に指示に従わない反抗的態度と教師が判断したため、学校を退学になった神童とよばれた子どももいた。
え、オタクぶりで退学?と戸惑うのですが、原文ではニュアンスが違います。
Others were prodigies who were failing in school beause their teachers interpreted their pedantic mannerisms and failure to obey instructions as willful insurreciton.
(試訳 衒学的なわざとらしさと指示に従えないことを、故意の反抗と教師にみなされ、学校を落第した神童たちもいた)
そのちょっとあと(p.104)には、こんな部分もあります。
独りよがりの世界に暮らしてほとんど何もしないオタク
the weird eccentric who live in a world of his own and achieves very little.
(試訳 自分だけの世界に住んでいてほとんど何も成し遂げない風変わりな奇人)
pedantic mannerismsを「オタクぶり」、weird eccentricも「オタク」と訳すのは、あまりにも言葉の使い方が雑すぎると思うんですよね。訳者はオタクに恨みでもあるのでしょうか。
同じ104ページにはこんな箇所もあります(「新たな自然界の生命体」は自閉症のこと)。
この新たな自然界の生命体の特性は、「うっかり博士の大発明 フラバァ(The Absent-minded Professor)」やジョークのネタとして頻繁につかわれる「カウント・ボビー(Count Bobby)」のように、ポップカルチャーのキャラクターとしてはオーストリアはすでになじみ深いものであると、アスペルガーは指摘した。
He pointed out that the distinctive characteristics of this natural entity were already familiar in stock characters from pop culture like the “absentminded professor” and Count Bobby, a fictitious aristocrat who was the butt of many Austrian jokes.
(試訳 この自然物の特徴は、大衆文化ではありがちなキャラクターとしてすでになじみのものだと彼は指摘した。たとえば、「浮き世離れした学者」とかオーストリアのジョークによく登場する架空の貴族「ボビー伯爵」のように、である)
まあ確かにThe Absent-Minded Professorは1961年の映画「うっかり博士の大発明 フラバァ」の原題なんですが、原文では大文字で始まってないのでタイトルだとは考えにくいでしょう。だいたい戦前のウィーンにいるアスペルガーがなんで戦後のアメリカ映画に言及しなきゃならないのか理解に苦しみます。
次の文章(p.113)は、数学の天才である三歳の自閉症児についてのもの。
母親が砂に三角形、四角形、五角形を描いて彼にみせます。
すると彼はすぐさま一本の直線と一つの点を描き、線分は二点を結ぶものであり、点は角を形成することに気づき、さらにもうしばらくすると立方根をそらで計算できるようになっていた。
意味わかるでしょうか。私はわかりませんでした。原文はこうです。
He immediately drew a line and a dot, proclaiming the line a Zwei-eck(a two cornered figure) and the dot an Ein-eck(a one-cornered figure). Soon he was calculating cubic roots in his hand.
(試訳 彼はすぐさま一本の線と一つの点を描き、線は「二角形」、点は「一角形」であると宣言した。やがて彼は立方根を手で計算できるようになった)
彼は多角形の概念を拡張し、「二角形」「一角形」という言葉を造語したのでした。
次は、ナチス政権下で大学総長になった解剖学者ペルンコップが執筆した解剖学アトラスが、長年の間世界中の外科医にとっての必須のガイドブックになっていたという話(p.144)。
一九九六年になって、あるユダヤ人外科医が『JAMA』のコラムに活動を共にしているホロコースト研究者と連名の手紙で調査を要求して初めて、ペルンコップは、障害児と政治犯の皮膚を剥いだ人体図を使って六〇年近く外科医志望の学生に教育を行っていたことを認めたのだった。
一見どこもおかしくないように見えますが、1940年代に大学総長だったペルンコップが1996年に罪を認めるっておかしくないですか。ペルンコップ何歳ですか。
Only in 1996, when a Jewish surgeon working with a Holocaust scholar demanded an investigation in the letters column of JAMA, did the medical profession admit that it had been teaching students how to become surgeons for nearly sixty years with paintings of the flayed bodies of disabled children and political prisoners.
(試訳 1996年になって、ホロコースト研究者と共同研究をしているユダヤ人外科医がJAMAの投書欄で調査を要求して初めて、医学界は60年近くのあいだ障害児や政治犯の皮を剥いだ死体を描いた図を使って、学生に外科医になるための教育をしていたことを認めたのだった)
第4章p.169にはものすごく初歩的なミスがあります。サウスダコタ州のヤンクトンという都市について書かれた部分です。
インドの貿易拠点
アメリカ内陸部の街がインドの貿易拠点? 賢明な読者ならすでにおわかりでしょう。
Indian trading post
(試訳 インディアン交易所)
続いて第6章のエピグラム。
「人間のようでないけれど、人間のようであり、あるいは人間以上の生き物として私を書いてください」――ジョン・W・キャンベル
わかったようなわからないような表現ですが、原文はこうです。
Write me a creature that thinks as well as a man, or better than a man, but not like a man. --JOHN W. CAMPBELL
(試訳 人間と同程度かよりすぐれた知性を持っているが、人間とは異質な考え方をする生物を書いてくれ――ジョン・W・キャンベル)
キャンベルはSF雑誌の編集者であり、これは作家たちに対して異星人の描き方を指南した言葉です。write meは「私を書いて下さい」ではないのです。
困りものなのは「妄想」や「精神病質」などの精神医学の専門用語が、違う単語の訳として登場すること。
ビーマン・トリプレットの三三ページからなる手紙についての論文以降、カナーは自閉症児の親と親族について、「妄想」という表現を再三にわたり用いるようになっていった。(p.225)
「妄想」といえば、精神科医ならこれは原文の表現はdelusionだな、と思います。しかし違うのです。
He applied the word obsessive to his patients and their relatives nearly a dozen times in his paper, starting with his description of Beaman Triplett’s thirty-three-page letter.
(試訳 ビーマン・トリプレットが書いた33ページの手紙についての記述に始まって、彼は患者とその家族について「強迫的」という言葉を論文の中で10回以上も使っている)
他方、精神病質ということばから連想するような幻覚とか、あるいは妄想の徴候などはまったく報告されていない。(p.233)
「精神病質」はパーソナリティの障害で、幻覚や妄想が出てくることはあまりありません。
None of these young patients exhibited hallucinations, delusions, or the other fulminant manifestations typically associated with the word psychotic. For the most part, they were nonverbal children with unusual sensory sensitivities who shied away from other people.
(試訳 彼ら若い患者たちには、「精神病」という単語と結びつくような幻覚、妄想、あるいはその他の激しい症状はまったく見られなかった。だいたいにおいて、彼らは感覚が普通以上に鋭敏で他人を避ける、言葉をしゃべらない子供たちだった。)
psychoticを、なぜか「精神病質」と訳しているのです。5行前には同じ単語を「精神疾患」と訳しているのに。また上の文章の二つ目の文は訳されていません。
まだまだあるんですが、きりがないのでこのへんでやめておきます。
最後に、読んでいて脱力した部分をひとつ。
それは言葉では言いつくせない、まるで安息日の魔女たちのような光景だった。(p.141)
It was an indescribable witches' Sabbath.
(試訳 それは名状しがたい魔女たちのサバトだった)
安息日の魔女たちって、なんかのどかそうですね。
"NeuroTribes"は、数々の賞に輝いた話題作であり、内容もすばらしい本です。それだけに、割愛された箇所が多く、訳もお世辞にもいいとはいえないのがとても残念です。