スティーブ・シルバーマン『自閉症の世界』の翻訳について その2

最後まで読んだので前回に引き続いて『自閉症の世界』の翻訳についてです。

結論から言えば、原文はズタズタ、翻訳はボロボロで、即刻回収して全訳版をだしてほしいほどひどいです

自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実 (ブルーバックス)

自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実 (ブルーバックス)

 

全体としては、こんな感じです。

カット 誤訳
序章 原型をとどめないほど 多い
1章~5章 そこそこ 多い
6章 とても多い 商品として成立しないほど
7章~9章 少ない 少ない
10章~11章 とても多い そこそこ
12章 少ない 少ない

カットは、数段落をまとめて削除しているところもあれば、一段落削除してあるところもあります。段落の最後の一文だけとか、()の中を削除してある(だいたい、ちょっと息抜きになるようなことが書いてある)こともけっこうあります。誤訳は前半部分に特に多いのですが、特に6章は下訳をそのままノーチェックで通したんじゃないかと思われるくらいのひどさです。

 

翻訳版での序章は、

 私が自閉症について知ったのは、一九八八年に映画『レインマン』を観たのがきっかけだった。

と始まるんですが、原書では著者が2000年にWiredのライターとして「ギーク・クルーズ」という船旅に参加して、Perl開発者のラリー・ウォールに出会うところから始まるんですよね。自宅でのインタビューを申し込んだところ、「いいよ。でも、うちには自閉症の娘がいるよ」と言われ、そこで初めて、「そのときの私が自閉症について知っている知識は、『レインマン』でダスティン・ホフマンが演じたレイモンド・バビットのことだけだった」となるわけです。

その後別の企業家ジュディ・エストリン(ヴィント・サーフと一緒にTCP/IPプロトコルを開発した女性)の親族にも自閉症の娘がいることを知り、シリコンバレー自閉症が増えているようにみえるのはなぜだろうかという疑問にぶちあたるわけです。その後自閉症について調べはじめた著者はWiredに「ギーク症候群」という記事を書き、それが大きな反響を呼んだことから本書を書くに至る、というのが原書序章の大まかな流れです。

つまり、訳書では序章の章題は「自閉症は増えているのか」となってますが、原書では「シリコンバレーでは自閉症が増えているのか、増えているとしたらそれはなぜなのか」という疑問が提示されていて、それが本書全体を貫いているのです。

訳書ではこうしたテーマは隠蔽され、6章や11章など、ギークカルチャーと自閉症スペクトラムとの関係を論じた部分が、「主題と関連のない部分」(訳者あとがきより)として特に大幅な削除の憂き目にあっています。そのため、翻訳は原書とはおそらく印象が異なってしまっています。

本の後半では、自閉症の人々が、自閉症であることに誇りを持つようになってきたことが描かれています。

第10章には、

一〇年後に、アスペ(Aspire)と呼ばれることが、名誉や誇りとなる日がやってくることを予想できた人間は、フォルクマーの小委員会にはほとんどいなかったのである。(p.514)

とありますが、日本では「アスペ」は蔑称として使われることが多いので、この翻訳は不適切です。それに原文ではAspireではなくAspieです。

Few members of Volkmar’s subcommittee could have predicted that the term Aspie would become a badge of honor and defiant pride within a decade, even for those without an official diagnosis.

(試訳 10年もしないうちに、アスピーという用語が、正式な診断を受けていない者にとってさえ、名誉や大胆なプライドを示すものになることを予想できた人間は、フォルクマーの小委員会にはほとんどいなかった)

また、訳書の572ページ以降、大文字のAutistic(定型発達者とは異なる文化を持つ自閉症者たちの自称)と小文字のautisticは、明確に分けて使われていますが、日本語版ではそこがあいまいになっています。

 

この本のキーワードは、tribeなんですよね。そもそも原題がNeuroTribesだし、この本全体を通して、tribeという単語が19回も出てきます(kindle便利!)。ところが、翻訳では、このtribeのほとんどを訳文から消し去っています。たとえば、原文にはAsperger's lost tribeとかAsperger's forgotton tribeという表現が何回か出てきます。「幻の種族」「忘れられた種族」といった意味ですね。ここには、アスペルガーが記載しながらもその後忘れ去られ、存在が消された人々、という意味合いがこめられています。

たとえば、第5章の最後の部分(p.268)は、原文ではこうです。

While the psychiatric establishment was debating theories of toxic parenting and childhood psychosis, however, Asperger’s lost tribe was putting its autistic intelligence to work by building the foundations of a society better suited to its needs and interests.

(試訳 精神医学の主流派が毒になる子育てと小児精神病の理論について議論している一方で、アスペルガーの失われた種族はその自閉的知性を活用して、彼らの必要性と興味に適合した社会の基盤を築き上げようとしていた)

 これが、訳書ではこんなふうに、tribeという表現がなくなっています。

精神医学主流派の研究者たちが、毒親と小児精神疾患の関連性にしきりと言及した一方で、自閉症の人間は神経学的マイノリティとして自閉的知能を活用して暮らしていた。

 どうも訳者はこのtribeの意味合いがよくわかってないようなんですよね。訳者あとがきでも臆面もなく「理解不能」なんて書いてますし。歴史上、自閉症スペクトラムというlost tribeの存在が消されていたのとまさに同じ事が、翻訳版でも起きているわけです。そもそも、『自閉症の世界』という毒にも薬にもならないような邦題が、NeuroTribesという挑発的な原題をうまく日本語にしているようには思えません。

さらに、原書には、The Legacy of Autism and the Future of Neurodiversity(自閉症のレガシーとニューロダイバーシティ(脳の多様性)の未来)という副題がついています。Legacyは翻訳が難しいですが単なる過去の歴史ではなく、ワクチン原因説のような誤解や偏見も含む、自閉症をめぐる現在にまで影を落としている歴史といった意味が込められているのでしょう。この副題も、翻訳では消し去られ、「多様性に満ちた内面の真実」というよくわからない副題がつけられています。

ちなみに本書の中国語版タイトルは『自閉群像』(上下巻)。もちろん原題とはニュアンスは違うものの、なかなかいいタイトルのように思えます。少なくとも『自閉症の世界』よりは。

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アスペルガー、カナー、ベッテルハイムなどなど、自閉症研究に(良きにつけ悪しきにつけ)影響を与えてきた人々を描くとともに、自閉症に理解がなかった時代をサヴァイヴしてきた有名無名の自閉症スペクトラムの人々、さらにはその家族や『レインマン』の脚本家など、さまざまな立場の人々の群像を描くことによって、自閉症の歴史を浮かび上がらせているのが、本書がほかの医学史本とは違うユニークなところです。そして、自閉症スペクトラムの人たち(「アスペルガーの失われた種族」)がSFファンダムやアマチュア無線文化を生み出し(両方の要にいるのがヒューゴー・ガーンズバック)、そしてそれが現代のシリコンバレーにもつながっているというのが本書のストーリーのひとつです。
ところが、訳書では、シリコンバレーを描いた序章とSFファンダムとアマチュア無線文化を描く第6章のギークカルチャーに触れた部分、そしてインターネットカルチャーについての第11章を、「主題と関連のない部分」として大幅に割愛しています。すべて、自閉症スペクトラムの人々が自ら作り出した文化に関する部分です。その一方で、専門家による自閉症研究史に関する部分には、割愛はあまりありません。まったくNeuroTribesというタイトルにこめられた意味を理解してないとしか思えないわけです。

 

しかもその第6章の翻訳が、ほとんど商品として通用しないほどひどいので、今回は誤訳の指摘は第6章についてだけ取り上げます(もちろん、これで全部じゃありません)。

ビジネスで成功したヒューゴー・ガーンズバックについて書かれた部分。

一方で他人のことを、異常で、無礼で、自己中心的で、さらに冷淡だと非難した。(p.276)

原文はこうなっています。

But he inevitably struck people as odd, rude, self-centered, and even callous.
(試訳 しかし彼は必ず、他人には奇妙で無礼で自己中心的で、さらには無慈悲な印象すら与えた)

strike someone as ~は、「人に~という印象を与える」。意味がまったく逆になっています。

 

今日ならばおそらく癇癪と判定されるような「強い閃光」や複雑な幻覚(p.280)

「癇癪」の部分は原文ではepilepy。癇癪(かんしゃく)じゃなく癲癇(てんかん)。

 

現代アメリカ文化の自由な雰囲気と多元性は、『アメージング・ストーリーズ』の投稿欄に、その起源をもとめることができる。(p.282)

いくらなんでもそれは言い過ぎでは、と思って原文を読んでみるとこうです。

THE CONTEMPORARY CULTURE OF fandom in America-the whole thriving multiverse of Trekkers, Whovians, Twihards, and Potterheads-had its humble beginnings in the letters-to-the-editor column of Amazing Stories.

(試訳 現代アメリカのファンダム文化――活況を呈している、スタートレックドクター・フー、トワイライト、ハリー・ポッターなどのファンが形作る多元宇宙――は、アメージング・ストーリーズの投稿欄でつつましく始まった)

このあと、迫害を受けるミュータントを描いたA・E・ヴァン・ヴォークトの『スラン』を読んで感激し、「ファンはスランだ!」という有名なスローガンをぶち上げたクロード・デグラーというSFファンについて書かれているんですが(このスローガンは私も知ってたけど、誰が言ったかについては全然知りませんでしたよ)、ここは大幅にカットされています。

デグラーは、SFファンの巨大ネットワークを構想し、コズミック・サークルと呼びます。そして、そのメンバーである"Cosmen"と"Coswomen"の意識を高めるため、大陸横断のヒッチハイク旅を始めるのです。1941年にはデンバーのSFコンベンションで火星人が書いたと称するスピーチを読み上げます。

さらには、一般人から干渉されずに情熱を追い求められるよう、スランシャックと呼ぶSFファン向けシェアハウスを考え(これは1943年に実現した)、健康なCosmenと多産なCoswomenが次世代の優越人種を生み出すためのコズミック・キャンプなるものの立ち上げを構想します(これは実現しなかった)。そしてついに、ロサンゼルスの一街区まるごとを住居や共同出版施設を供えたスラン・センターにするという構想に至るんですが、これは当然実現せず。デグラーは「サイエンス・フィクションにとって安全な世界を作るため戦おう!」とファンジンの中で叫び、スランシャックを“a fannish island in a sea of mundania”(一般人海の中のファンの小島)と呼んでいたとか。

ここから著者は「ファンはスランだ!」というスローガンを、自分たちを理解しない社会の中でサヴァイヴしていかなければならなかったマイノリティの叫びと読み替え、1940年代のSFファンの中には、まだ名づけられていない自閉症スペクトラムの若者たちがかなりいたのではないか、と推測しています。

このあたりのくだりは、1940年代のSFファンダム文化の一端を活写していてとても面白いところなんですが、訳者としては「主題と関連のない部分」だと思ったんでしょう、無慈悲に削除されているのがとても残念です。

 

さて次の誤訳に移ります。この部分はどうしてこんな訳になったのかまったく理解不能としかいいようがありません。

反響があるのかどうか測りかねる情報発信にあきたりないファンにとっては、同好の士から、お互いにのみわかり合えるレスをうけとることはたまらない快感となる。(p.289)

For people who found open-ended conversations daunting, the byzantine customs and rituals of fandom furnished reassuring scripts for interaction.

(試訳 オープンエンドな会話を苦手と感じる人たちにとっては、ファンダムの込み入った習慣や儀式は、安心できる交流のスクリプトを提供してくれる) 

 このあと、「ファンジン」という言葉を1940年に作ったのは、チェスプレイヤーにして国防省のコンピュータ技術者であった聾のSFファン、ルイス・ラッセル・ショーヴネであること、ガーンズバックの雑誌に書いていた作家のデイヴィッド・ケラーは小さい頃には知的障害だと言われ、6歳になるまで妹にしかわからない私的言語を話していたことなど興味深い事実が書かれているんですが、邦訳版ではカット。

 

ガーンズバックの伝記作家、ゲイリー・ウェストファルは、「有能な編集者と企業家という人々の大半は正式に診断こそ下されていないものの、アスペルガー症候群とみなすのが妥当だ」と信じている。(p.289) 

これもいくらなんでもまさかと思うんですが、原文はこうです。

Gernsback biographer Gary Westfahl believes that it’s “reasonable to assume” that the influential editor and entrepreneur was an undiagnosed Aspergian.

(試訳 ガーンズバックの伝記を書いたゲイリー・ウェストファルは、影響力のある編集者で起業家でもあったガーンズバックは、未診断のアスペルガー症候群だったと「仮定するのが妥当だ」と信じている。

次は、ガーンズバックの敬愛するテスラが亡くなったときの描写。

テスラが一九四三年に亡くなると、「Do not disturb」という札をずっとドアに掛けたままで、ホテル・ニューヨーカーの一室に彼のデスマスクを飾ってひきこもったままになり、痩せ細っていった。(p.291)  

ニコラ・テスラの死の様子を知っている読者なら、この訳がおかしいことにすぐに気づくでしょう。

After Tesla died in 1943--impoverished and emaciated in his room at the Hotel New Yorker with a “do not disturb” sign permanently affixed to his door--Gernsback mounted his death mask in the corner of his office as a macabre tribute.

(試訳 テスラが1943年に亡くなったあと――ホテル・ニューヨーカーの自室に「起こさないでください」の札をずっとかけたまま、貧窮して痩せ細っていったのだった――ガーンズバックは、オフィスの一角に不気味な記念品として彼のデスマスクを掛けた)

このあたりは、ほとんど2ページに1ヶ所は誤訳があります。

翻訳では、テスラの死後ガーンズバックはひきこもってやせ細っていったことになっているので、すぐに1967年のガーンズバックの死に飛んでますが、原書では、このあとガーンズバックの「もっともあからさまに自閉症的な発明品」である「アイソレーター」について書かれてます。騒がしいオフィスで感覚を遮断して集中するための装置だとか。

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さらにガーンズバックが始めたアマチュア無線文化が、社会的に不器用な若者たち(のちにアスペルガー症候群と診断された人も多い)を引きつけ、バラバラだったtribeのメンバーたちが結びついていく様子も、かなり詳しく描かれています。

次は話変わって、MITのハッカーサークルについての描写。

TMRCの辞書によれば、「よいハック」とは、巨大なメーンフレームをプログラミングして、歌を一曲演奏できるようにする実利性よりも、純粋に娯楽を追求するような技術開発であった。(p.295)

メーンフレームに歌を演奏させるのが実利的とはとても思えないわけですが、当然ながらこれは誤訳。

In the lexicon of TMRC, a “good hack” was some feat of technical virtuosity undertaken for pure pleasure rather than necessity, like programming a mainframe the size of a dozen refrigerators to play a song.

(試訳 TMRCの辞書によれば、「よいハック」とは、必要性よりも純粋な楽しみのために職人芸的な技術を開発することだった。たとえば、冷蔵庫1ダース分のサイズのメインフレームに歌を演奏させるプログラミングのような)

次は1980年代におけるジョン・マッカーシー(LISPの開発者)を描いた部分です。

机の端末にコマンドを入力して、電子メールを受け取り、ラジオを聞き、遠隔のサーバーにある論文を見直し、スペルチェックをし、チェスや囲碁をし、文書をエルヴィッシュで印刷し、APが配信するニュースをネット上で検索し、世界中のプログラマーからお勧めのレストランの最新リストを受け取ったりしていた。(p.296)

さて何気なく出てくる「エルヴィッシュ」とはなんでしょう。実はこの部分はカッコ内が翻訳からカットされています。

Elvish (he wrote an unpublished sequel to The Lord of the Rings that was sympathetic to the orcs) 

(試訳 エルフ語(彼は、オークに同情的な『指輪物語』の未公刊の続篇を書いた))

こういう、ふふっと笑える小ネタがほとんど削除されているのもこの訳書の残念なところです。 

 

ゼロックスPARCのアラン・ケイらによると、エンゲルバードが講演で示したコンセプトは、PCとしては初めて巨大市場を念頭に設計されたものとなったマッキントッシュの製作者、スティーブ・ジョブズに多大な影響を及ぼすことになったのだという。(p.303) 

アラン・ケイがなんだかただの評論家みたいに登場しますが、原文をみてみましょう。

The concepts in Engelbart’s presentation--refined by the work of Alan Kay and others at Xerox PARC--inspired Steve Jobs to build the Macintosh, the first personal computer (PC) designed for a mass market.
(試訳 エンゲルバードが講演で示したコンセプトは、ゼロックスPARCのアラン・ケイらによって精緻化され、スティーヴ・ジョブズマッキントッシュに影響を及ぼした。マッキントッシュは、マス・マーケット向けに設計された最初のパーソナル・コンピュータである)

 

そして、この章を締めくくる一文にも、前章の末尾とおなじAsperger's lost tribeという表現が出てきます。

But two things had to happen first. Kanner’s notion that autism was a rare form of childhood psychosis would have to be permanently laid to rest. Then, as Asperger’s lost tribe finally emerged from the shadows, autistic people would have to overturn the notion that they were the victims of a global epidemic. Then, as Asperger’s lost tribe finally emerged from the shadows, autistic people would have to overturn the notion that they were the victims of a global epidemic.

(試訳 しかし、最初に二つの出来事が起こらねばならなかった。自閉症は小児精神病のまれな形であるというカナーの考えを葬り去ること。そして、アスペルガーの失われた種族がついに闇から抜け出し、自閉症の人々は世界的な集団発生の犠牲者だという考え方を打ち負かすことである)

 この文章のtribeという表現も翻訳では消されています。

ただし出現するにはまず、自閉症を小児精神病の稀な形態ととらえるカナーの考え方を葬り去ること、さらに障害が近年になって蔓延しつつあるという主張を否定することが必要なのであった。(p.309)

NeuroTribesという原題の本なのに、訳書ではタイトルからも本文からもtribeが徹底的に消されているのです。

特殊な才能を持った自閉症者に記述が偏っていること(特に前半)、アスペルガーの章、ローナ・ウィングの章を除いてはアメリカの話ばかりであることなど、本書にも問題点はいくつかありますが、自閉症の紆余曲折の歴史を力業でまとめた労作であることは間違いありません。それだけに、誤訳があまりにも多いこと、訳者の恣意的な削除によって著者の主張が歪められていることが残念でならないのです。

翻訳を見直した全訳版の刊行を強く希望します。